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書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

運命は変えない主義

 私は「運命は変えられない」と思っている。「自分は変えられるが、他人は変えられない」とも思っているが、あの感覚と似ている。私にとって、運命=他人、なのだ。運命を決めているのは私ではないし、私がどうしようと運命には手出しできない、だから、運命は変えられないと思っている。

 なので、与えられた状況を変えよう、という風には動かない。与えられた状況は一旦そのまま受け取って、その中で自分がどう生きれば快適なのかを考え工夫するように、いつのまにかなった。そうしよう、とどこかの時点で決心したわけではなく、いつのまにかそういう風に暮らすようになったのだ。私は、自分の置かれた状況に悩んだり、腹をたてたり、という事があまりない。私は、理解できない他人について「どうしてあの人はああなんだろう」と悩む事があまりないが、それと同じだ。

 このブログでは、子供や夫についての愚痴のようなものを多く書いているが、こういう自分の状況に悲観しているわけでも苦しんでいるわけでもない。子供はああいう子だし、夫はああいう人なのだが、それが悩みの種にはならない。そこを私は悩まない。この縁が私の運命だと思っているので、この中で私はどう生きようか、という方向に考える。こういう子供をどう育て幸せにしてやろうか、ああいう夫をどう付き合い一緒に生きていけばいいか、そういう風に考える(し、実行している)。

 与えられた運命を拒否したり、与えられた縁を切ったりする事を、「自由」だとは私は思わないのだ。確かに「運命を拒否した」「縁を切った」その瞬間は、ひととき自由を感じるだろうと思う。だけれども、そこで自分の運命や縁が、自分が思う通りに変わるわけではないと思うのだ。そこからも自分の運命や縁は、以前の運命の地続きで、続いて行く。自分が以前の自分のままである限り、自分の運命も縁も同じものが続いて行くだけのことだと感じている。

 つまり、与えられた運命、与えられた縁の中で、自分がどう生きていけばいいかを考え、自分を変えていく事を考えていけば、運命も縁も、変わっていく自分に合わせて、自然に変わっていくものだと思っている。これもまた、自分が変われば相対している他人も変わっていくのと、同じ原理だと感じている。

 私は、運命を能動的に「変えよう」とはしない。運命は能動的に変えようとしても、変わらないと思っている。運命は、自分が変われば、自然に変わっていくものだと思っている。もちろん、能動的に運命を変えようという生き方が、合う方もおられると思う。そういう方は、それで良いのだと思っている。