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書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

勝ち負けにこだわる

 非常にぼんやりした事を書こうとしているので、うまく書けるかあやしいが書こうと思う。勝ち負けにこだわる事について書きたいのだ。

 知人がある人ともめて、物質面で相当痛手を負った。知人は「この喧嘩は、勝ち負けなし。結果ひきわけに終わったわ」と言うのだが、誰がどう見ても、知人の被った痛手のほうが大きい。金額で説明するなら、知人が失った金額が150万、相手方の失った金額は10万円ぐらいなものだった。私が「こういう結果に終わったのだから、あなた(知人のこと)のほうが酷い痛手を被ったと思うよ」と言ったら、知人は筋の通らない不思議な理屈で「いやいや、勝ち負け無しだ」と返して来た。ああ、この人は勝ち負けにこだわる人なんだな、と気づき「うん、まあね」と返して終わった。なぜか気分はあまりよくなかった。

 別の知人の話。子持ちの女性だ。お子さんが他の子から「弱虫」と言われて、親である彼女が傷ついた(お子さんは平気だったらしい)。あまりにもくどくどと、「私は傷ついた」と言うので、何か言わねばと思い、「弱虫と言われても平気だという事は、お子さんは本当は強いんだよ」と私が言ったら、彼女はとても喜んだ。そうか、ウチの子は本当は強いんだ、と。人が変わったように元気になった。

彼女のお子さんは、繊細なタイプだ。何を持ってして「弱い」とするかは難しいが、繊細さは心の弱さにつながる場合がある。繊細なのに、イケイケで強い人、はまずいない。だから、彼女のお子さんを、強いか弱いかに無理やり分けるとすれば、弱い方に入る(関係ないが、私の子供も相当繊細で、かなり弱いほうだ)。

だから私が彼女に言った「お子さんは強い子よ」というのは、申し訳ないけどリップサービスだ。そして、その私のリップサービスをとても喜び、「そうだ、その通りだ!」と我が意を得たりと元気になる彼女を見て、私は複雑な不思議な気持ちになった。彼女は今になって「弱くたっていいのよ。私は、弱い我が子をそのままで認めているの」と言うが、いや違う。「強いよ」と言ってもらって初めて、その言葉が出たのだ。本当は弱いとは思っていない。彼女は「本当は我が子は強い、弱く見えるだけ」と思っている。彼女は、本当は強い我が子が、一見弱く見える事を認めている、だけの事だ。本当はこの子は強い子、と思っているからこそ、弱く見える振る舞いに我慢ができるのだ。でも、繰り返しになるが、彼女のお子さんは「弱いタイプ」なのだ。強くはない。きつい事を言われればすぐに泣くし、自分の意見も言えない。順番に並ぶ時は一番後ろだ。ないがしろにされても我慢する。ズルされても怒れない。強いから我慢できる怒らない、のではなく、芯から弱いのだ。彼女の認識とはズレがある。だが、私はそれを彼女には言わない。言わないが、やはり少し気持ちがよくない。

勝ち負け、強い弱い、こだわる人は本当にこだわる。そして、勝ち負けにこだわる人を不愉快に思ってしまう私も、一つ置いて、勝ち負けにこだわっていると言える。

何故、負けを認められないのか。すでに完璧に負けているのに、どうしても「私は負けている」と認めないのは何故か。不安感の裏返しか。自己肯定感の低さの裏返しか。自尊心の低さの裏返しか。

勝ち負けにこだわる人を不愉快に思う私もまた、不安感が強く、自己肯定感や自尊心が低いのか。よく分からない。長々と書いてきたのに、やはり結論が出なかった。後日また考えてみたい。