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書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

良い思い出にはならない

 依存体質だという話の続きになるが、私は一つ気に入った事をやり始めると夢中になってしまうところがある。私の気に入る事ときたら、お世辞にも真っ当とは言えない事ばかりで、人生の汚点としか思えない事ばかりだった。

 だった、と過去形で書いているのは、さすがに年をとり、そういう事から少し距離を置けるようになったからだ。そういう事って具体的に何なのか?などということは、とてもここには書けないぐらいの酷さだ。読んで下さっている方がおられたら、頭の中で「世の中の酷いこと」を何か想像して頂けたら、それが当たらずとも遠からずだと思う。

 何故、そういう愚かな事ばかりに私が夢中になってのめりこんでいたのか、と言えば、そういう愚かな事が私は得意だったからだ。別段努力をせずとも、その世界では「成功」できた。酷い事を成功する、というのもおかしな話なのだが、とにかく労なくしてうまくいくので楽しかった。そして自尊心も満たされた。

 それでも心の中では一抹の後ろめたさがあり、私はそれに対して、こういう言い訳を作り上げていた。

 「世の中には、自分のやりたい事をやらずに我慢して、不満で一杯で、常にイライラと不機嫌をまき散らしている女が多い。私は、自分がやりたい事をやって楽しいから、いつも穏やかだしイライラとは無縁だ。いつも不機嫌で不満だらけの女と、いつも楽しげで穏やか女とでは、どちらが世の中に迷惑なのかは明白だ。私は、不機嫌な女にはなりたくない。だから今の生活は間違っていない」

 「人生は一度きりだ。やりたい事をやれるのは今だけだ。あっという間に、やりたくてもやれない年齢になる。だから、今、やりたい事を存分に楽しんでおくべきだ。年をとってから、それが『良い思い出』になるはずだ。何も『良い思い出』のない人生なんて、寂し過ぎる。年をとってから思い返して、楽しい気持ちになれる良い思い出を、私は今、沢山作っているのだ」

 当時、こういう言い訳を、私は沢山自分に言い聞かせていた。

 なぜ、愚かな事が良い思い出になると決め付けていたのかは、今となっては定かではないが、当時は本気でそう思っていたのだ。しかし振り返ってみると、当時の事は良い思い出どころか、人生の汚点であり、一歩間違えたら人生を台無しにしていただろう事ばかりで背筋が凍る。運良くすべて、かろうじでギリギリ通り抜けたが、どこで足をすくわれて堕ちてしまっていてもおかしくはなかった。

 当時、私は、不機嫌な女性を嫌悪していた。百貨店の混みあったエレベーターなどで、そういう女性が、エレベーターが各階に止まる度に「各駅停車やね」と舌打ちするのを見て、心底軽蔑したものだ。思った事をなんでも口にしてしまうのだな、人間、不満が多い人生を送っていると、あんな風に自制心が弱くなるのだな、ああはなりたくない、絶対に、と思っていた。

 世の中を舐めていた、というか、不幸というものを舐めていたのだと思う。実際に、魂が凍りつくほどの不幸に見舞われたら、人は、不機嫌をまき散らす元気などなくなるということ、イライラするエネルギーすら枯渇するのだということを知らなかった。心底不幸な人間は、ごみ屑のように小さく縮んで動けなくなる、それが不幸というものだ、という事を、当時の私は知らなかった。そして、上機嫌でやっていた愚かなことごとが、一歩間違えば私を、くしゃくしゃにして捨てられたごみ屑のような存在にしかねない事も、気づいていなかった。気づかないどころか、お得意の先読み段取り癖で、それが老後の良い思い出になるとすら、勘違いしていた。

 真っ当でない愚かな事が、良い思い出になどなるはずはない。というか、「これは良い思い出になるだろう」と思ってやっている事ほと、後になって、良い思い出にはならない。

 良い思い出というのは、なじみのない住宅街の庭にぽつんと放置された赤い長靴だったり、他人の赤子の一瞬の笑顔の中に、存在するのだと思う。何もかもが瑞々しく見えた雨上がりの幼稚園の帰り道に、履いていたあの赤い長靴。一瞬も気を抜けない子育て期、永遠とも思える時間抱いてあやし続けた我が子に、やっと浮かんだあの一瞬の笑み。その時は、それが良い思い出になるなんて、思ってもみない、そういう事が後になって似た面影に出会った時、驚くほど心を揺さぶるのだ。懐かしさに不意を突かれ、うろたえる。泣きたくなるほど何かをぎゅっと抱きしめたくなる。

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