書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

依存に至る原因

 何かに依存するというのは、危険な事だと思っている。多少の依存は生きていく上であっても良いと思うが、「ソレ無しには生きていけない」とまでの依存は、危ない気がする。私の場合「書く事」がソレに当たる。なので、私は一日の中で「書く事に当てる時間」は2時間までと制限している。「書く事」ほどではないが、「読む事」も好きなので、こちらも2時間以内に留めている。合わせて4時間以内、という事で、これぐらいだと依存しなくてすむ感じだ。

 依存に至ってしまう原因は、「幸せの取り違え」だと思う。

 「これをしているととても幸せ」という事がある。でも、その幸せの中身を見ていくと、本当に純粋に楽しんでいるわけではない、という場合がある。つまり、それをする事が純粋に幸せなのではなく、それをする事で自分を誇らしく思えるから幸せに感じる、というワンクッションがある。それをする事で、自己肯定感が高まるから(自尊心が維持できるから)、それをするのが幸せ、と感じている。自分自身「私って凄い」と思えるから、それをする。やればやる程自分が凄いと思えて気持ちいいから、無理してでもどんどんやる。時間もお金も気力も体力も限界まで費やしてでも、場合によっては限界を超えてでも、やる。それをする事に、自己の存在価値を置いてしまう。ここまでくると、もう止める事ができない。

 何故そういう方向に走ってしまうかというと、「幸せ」の中身を取り違えているからだと思うのだ。つまり、ソレをする事がストレートに心地いいのではなく、ソレをする事によって「自己肯定感が高まるから」幸せになる、という、ワンクッションが入る場合、その人にとっては、ソレをする事が幸せなのではなく、自己肯定感が高まる事が幸せ、なのだ。ソレ=幸せ、なのではない。「自尊心を高める事」=幸せ、なのだ。だからソレは、別に何でもいいのだ。「私って凄い」と自尊心を満足させてくれるものなら。得意な分野の事でもいいし、人助けでもいい、外見を磨く事でもいいし、金儲けでもいい。何であれ自尊心の拠り所をソレに置いてしまうと、ソレを失うわけにはいかない、としがみつき、結果依存に至るのだと思う。この過程はとてもスムーズなので、本当に気を付けていないとうっかり進んでしまう。

 そもそも私は、依存体質だ。生活の中に極端な二面性を持っている。誰しも多面的な面は持っていると思うが、私はそれが極端だと自分で感じる。割り切りがいい、と言ってしまえば良く聞こえるが、この二面性の乖離は、心をギリギリまで両端に引き延ばす。長く続けると心が伸びきってしまい、弱くなってしまうので、少しでも自分を肯定できるものを見つけると、それに耽溺してしまう。それに耽溺しつつ、真逆の「真っ当な人間」の顔も平気でやれてしまう。そして更に心が伸びきっていくという悪循環に陥る。自らの二面性に違和感を覚えて耐えられない人は、物事に依存しにくいのだろうと羨ましく思う。私は違和感を覚えない。

 私は依存体質だからこそ、他人の中の依存傾向に敏感で、それが救いだ。それが他山の石となり、危うい所まで行かないよう私を引きとめる。読み書きに対する時間制限や、幸せへの見方は、私が依存に耽溺する事をなんとか引き留めてくれている。

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