書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

「安心」と「上慢」は違う

 昨日子供は、一昨日の反省からか打って変わって大人しく、私に絡んでくる事はなかったが、夕食の時、こんな事を言ってきた。「ママは、絶対に僕の事を嫌いにならないから、ママには何を言ってもいい、と言ったよね。安心していいって言ったよね。なのに、やっぱり言ってはいけない事は沢山あるんやね」と。それを聞いて、ああ、この子は勘違いしてしまっていたのだなあと気づいた。

 「確かにママはそう言ったけど、『安心できる関係』の意味が違うよ。『安心できる関係』というのは、『自分の失敗や恥ずかしい事や悩んでいる事を何でも言える関係』、という事よ。どんな失敗を聞いたって、ママはあなたを馬鹿にしたりしないし、どんな恥ずかしい事を聞いたって、ママはあなたを嫌いにはならないし、どんな悩みを聞いたってママはあなたを見捨てたりしない。『安心できる関係』というのは、そういう事よ。でも、あなたの考えているのは、『何を言っていい、どんな我が儘勝手を言ってもいい、相手がどんなに苦しもうが傷つこうが何を言ってもやってもいい』って事で、それは『安心』じゃなく『上慢』よ。『安心できる関係』と『我が儘放題できる関係』は、全然違うよ」と私は言った。

 確かに、我が儘が言える=甘えられる=安心できる、という構図はあるけれど、それも程度問題。子供によっては、わざわざ言わなくてもこの「程度」を自分で見積もって、暴走せずに振る舞える子もいるけれど、私の子供はそうではない。安心できるなら、甘えられるということで、ならば我が儘も言えるはずで、ということは、どんな我が儘も通してもらえるはずだ、と思い込んでいる。言葉で把握しなくても、感覚的にそう思い込んでいるのだと気づいた。だから、杓子定規な説明になっているのは承知の上で、子供にハッキリと分かりやすく、「安心」と「上慢」は違うんだ、という事を説明した。子供は理解したようだった。子供はもともと、自分の失敗も悩みも何でも私に言うので、本当に私のことを「安心」してくれているのは分かるけれど、その「安心」の中から「上慢」の部分はそろそろ省いてもらってもいいだろう、と思ったのだ。

 そういえば、私の夫も、ここをはき違えているように感じる。夫は、子供と違い、私に弱みは絶対に見せない。自分の失敗はとことん隠そうとするし、隠しきれずにバレた時は、その何倍もの勢いで、私の過去の失敗を責めたてて誤魔化そうとする。夫は私に、『自分の失敗や恥ずかしい事や悩んでいる事』を何も言わない。けれど、私の事は、『何を言っていい、どんな我が儘勝手を言ってもいい、私がどんなに苦しもうが傷つこうが何を言ってもやってもいい』と思っているフシがある。つまり、私に対して、本来の意味での「安心」はないが、「上慢」はあるのだと思う。私に対して「遠慮」がないのだ。

 夫がそういう風でいるのは、私のせいかもしれない。私は夫に対して、全く「安心」はしていないからだ。油断すればどこまで傷つけられるか、分かったものではない、と戦々恐々としている所がある。夫が近くにいる時は、緊張して身構えている。人間的に悪い人では勿論ないし、好きか嫌いか二者択一で答えろと言われたら好きなほうだが、一緒にいて疲れるのも事実。何か重たいものを押し付けよう押し付けようとされているように感じるのだ。だから油断できない、安心できない、と感じている。

 私がそんな事をぼんやり考えていたら、子供がにっこり笑ってこう言った。「ママ、ママも失敗した事や悩んでる事があったら、僕に何でも言ってな。僕もママを見捨てたりしない。できるだけ助けるよ」

 胸をつかれて言葉がなかった。