書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

自然な開閉を邪魔しない

前回、私は一日の中で何もしない時間が長いのだが退屈には感じない、と書いたのだが、よく考えると私はむしろ積極的に「何もしない」事を実行しているフシがある。

私は生来せっかちな性格で、以前は次から次へとやる事を考えて、動き回っているタイプだった。それで手痛い失敗をいくつもやらかし、体もアチコチ痛めたため、生き方を修正したのだ。それを自分でも忘れていた。

そうやって有益な事を次々とやっていた生活は、精神的には充実していたように記憶しているが、体がついてこなくなったのだ。特に、偏頭痛と肩こり、生理痛がひどく、鎮痛剤が手離せない日々だった。でも、鎮痛剤を飲みながら動き回っている事に、自分で矛盾を感じていなかった。

そういう時に、整体の先生から「女性の体は排卵や生理に合わせて、一定の周期で開いたり閉じたり動いている。自分が自然に心地いいと感じる生活の仕方をしていれば、周期通りにスムーズに体が開閉できるが、自分を縛り付けて生活していると、体がちゃんと開閉できない。それが、生理痛(骨盤が開閉できない)や頭痛(頭蓋骨が開閉できない)や肩こり(肩甲骨が開閉できない)として表れる。できるだけ、自分が心地いいと自然に感じられる生活の仕方をしたほうがいい」というようなことを聞いた。

最初は「ほんとに~?」と半信半疑だったが、例えば骨盤がちゃんと開閉しない人は、生理痛がひどいだけでなく生理がダラダラと長引くし、終わってもスッキリせずおりものが次の生理まで続いたりする、と聞き「まさに私だ」と思ったのだ。

それで、自分に自然に心地よく生活しよう、と心掛けるようになったら、何も(有益な事は)しない時間が長くなってしまったのだ。あんなに動き回っていたのに、本当はそれはしたい事では無かったのだなあと思った。

それで今は、子育てをしたり家事をしたりしながら、それ以外の大半の時間は、何もせずに暮らしている。人によっては、忙しく動いているほうが自分にとって心地よく自然だ、という人もいるだろうし、活発に活動したほうが自然な人もいるだろうし、そこは人それぞれだと思う。私の場合は、基本的には何もしない、という生活が自然だっのだ。何もしない生活を始めてから、気が付いたら鎮痛剤を買わなくなった。生理痛も頭痛も肩こりもなくなっていた。

何もしない、と言っても、実際には、目的なく散歩に出たり、瞑想したり、ストレッチしたり、本を眺めるように読んだり、という感じで、「何か」はしているのだけれど、時間や目的に縛られていない、何も生みださない、有益でない、充実感を求めていない、という意味で、「何もしていない」。これが私の体の自然なリズムを邪魔しない暮らしなのだと自分では感じている。開く時は開き、閉じる時は閉じる。それを阻害しない暮らし方。

私のような人間は、多分、少数派だと思うが、もし同じような人がいたら、「何もしない生活を送りたい」という目的で結婚し専業主婦になるのも、悪くはないと思ったりする。家事と育児はします。あ。今気づいたが、何もしない、と言いつつ私は、家事と育児では手を抜かない。そこに手を抜いてしまうと、どうしてもそこからトラブルが発生してしまうからだ。そのトラブルについて考え続けてしまう事が、「何もしていない」時間を侵食する。「何もしていない」筈なのに、何もしていない事にならない。

なので、私は、家事と育児以外には何もしない、と割り切っているのだと思う。キッパリとそこを割り切る事が、私の体調を整えてくれているのだと思う。