書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

この状態が死ぬまで続きますように

専業主婦なもので、「毎日退屈じゃないのか」「昼間何をしているのか」的な事をたまに聞かれることがある。退屈、、、と考えた事がほとんどなく、聞かれるたびに驚く。いやしかし、確かに一日の中で、何もしていない時間というのが、ものすごく長い。でも、退屈だと思った事がない。むしろ、私は自由で幸せだなーとうすぼんやり思っている気がする(実際には意識はしていないけれども)。私は、何もしていない時間を退屈とは感じない。何もしていない、というのは、何も有益な事はしていない、という意味で、実際には、うすぼんやり瞑想めいた事をしていたり、ダラダラとストレッチめいた事をしていたり、観葉植物の手入れというよりはただ触っているだけだったり、はしている。そうやって平気て何時間も過ごせる。そして退屈だとは感じない。

 私が「あー。退屈だ!」と感じるのは、時間的に縛られている時だ。自由が奪われている時だ。たとえば、時間指定の宅急便を待っている時(しかも指定時間を過ぎても来ない時とかの待ち時間は退屈の一言)、面白いと感じられない話を延々聞かされている時、子供の学校行事に義務で参加している時、などなど。その時間に、確実に目的はあるのだが(宅急便を待つ、話を聞く、行事に参加する等)、時間的に縛られていると感じられると退屈で死にそうになる。

 今、ちょっと関係ない事を思い出したけども、私は口癖として、「死にそう」というのをよく言うのだが、私のこの口癖が苦手な方から「そんなに簡単に死なないで」と注意された事があり、それからはできるだけ使わないようにしている。にも関わらず、今、その禁を破って使ってしまった。それぐらい、興味のない事の為に時間で縛られる事は、私には退屈の極みなのだ。自由を奪われる、というのが苦手なのだと思う。

 こんな性格てよく学生時代、授業を受けていられたものだ、と思うのだが、よくよく考えてみたら、授業中、面白くない時は勝手に本を読んだり、別の教科の宿題をやったりしていた。授業時間は、ただ椅子に座っている時間、という風に考えていて、その教科の話を聞く時間、という風には捉えていなかったので耐えられたのだと思う。

 専業主婦になって一番良かったと思う事は、基本的に、自分の時間は自分の自由に使える事で、この状態が死ぬまで続きますように、と切に願っている。