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書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

カウンセラージプシー

私はどうも、「カウンセラー」という職業の方に偏見がある。

何かにつまづいている子供がカウンセリングにかかるのは構わないと思っている。

それにはいくつか理由があって、一つには、子供の場合、カウンセラーさんに依存しないよう、大人(親)が注意深く見守る事が可能だから。また、どのカウンセラーさんに相談に行くのかを選ぶ際も、心が弱っている子供本人ではなく、心が健康な状態にある大人(親)が選ぶわけなので、ただただ耳に心地よい事だけを言うだけの力の無い人を選んでしまう危険が少ないから。これは通い出してからも同じで、カウンセラーとして能力の高い人だ、と思って通い出してはみたものの、途中で「いや、これはただ耳に心地良い事を言ってくれるだけの人だ」と気づいた時に、通うのを止める判断も、心が弱っている子供本人ではなく、大人(親)ができるから。

逆に言えば、大人がカウンセラーにかかる事に怖さを感じる理由は、心が病んでいる本人が、どの人にかかるか決める事に対する危うさからだし、通い続けて依存してしまう事への恐怖からだ。大人の場合、それを見守り止めてくれる第三者が存在しない。心が病んでいる人は、ひたすら自分を肯定してくれる人や言葉を求めがちで、その言葉に何の論理の整合性も無い事には、どうしても気づけない。いや、気づかない。自己中を正当化してくれる言葉をひたすら求めるし、それをしてくれる人を「素晴らしいカウンセラーさん」だと頼ってしまう。

本当にどん底にあって心が病んでいる時はそれでもいいけれど、歪んだ自己正当化を正解とするのは、あくまでも緊急処置で、自己中は自己中だと認める事ができない間は、心の健康を取り戻したとは言えないと思う。耳に心地良い言葉だけを言い続けてくれるカウンセラーさんというのは、自己中でいる事を正当化し続け、本人が自己中ではいけないと気づく事を阻害し続けるのではないかと私は思っている。

身内で一人、カウンセラージプシーをしている人間がいて、昨日もまた、新しいカウンセラーさんに「出会った」とウキウキと報告してきた。「出会った」って、ただネットを巡回していて、その人のブログを目にしただけの事なのだ。そのブログに、その人の耳に心地いい事がわんさか書いてあったらしく、すぐにカウンセリングを申し込んだらしい。

この人は、こうやっていつも一人のカウンセラーさんを見つけてはのめりこみ時間もお金もつぎこむ。自分に味方してくれるカウンセラーさんは多ければ多い程良いと思っているようで、いつも新しい人を探している。日常的に意識がカウンセラーさんに集中しているので、生活に気を配らないし、見たくないものは見ない。それによって色んな不都合が次々に起こり困り果てるのだけれど、またそれがカウンセラーに通う理由になっていく。つまり、悩んでいるから聞いてもらい吐き出す必要がある、という理由になる。

決して頭が悪い人ではないのに、何故カウンセラー依存の人生を選んでいるのか、私には理解できないし、心配でならない。「やめたほうがいい」というアドバイスを言う事には何の意味も効果もない事は分かっている。ので、何も言えない。ただ見守るのみ。

カウンセラーさんは本当に増えていて、ちょっとネットをのぞけば、プロを名乗る人が山のようにブログを書いている。悩んでいる人がふらふらと行ってしまう環境が整ってしまっている。でもプロのカウンセラーを名乗るのに、なんの資格も勉強も免許もいらない事は、あまり知られていない。私だって、今日突然、プロのカウンセラーを名乗ってブログを始める事ができてしまう怖さ。

カジノを日本に作っていいのか、ギャンブル依存症への配慮が必要ではないか、という議論がなされているが、カウンセリング依存症への配慮は、この国には今現在まったく存在していない。その理由が私には分からない。