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書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

問題提起と甘え

日々の思い

問題提起、というのを、する事に躊躇がある。

「これはおかしくないですか?

このままで、本当にいいんですか?」

という文言に、どうにも違和感を覚えてしまう。

おかしいと思うなら、自分が変えるように動けばいいのにな、と思うのかもしれない。

例えば、何かのシステムの不備を指摘して、

「これはおかしい。このままで本当にいいのか?」と問題提起する頭があるのなら、

黙って自分がそのシステムを改善するように動けばいいだけのことではないか、と思うわけ。

問題提起というのは、その問題の解決を、他人に押し付ける行為のように思うわけ。

そこに問題があるのは分かっているけれど、自分にそれを解決する能力がないから、世に問うというカタチで、問題提起しているのかもしれないけれど、

だとしたら、その人がすべき事は、

自分がその問題を解決する能力をつける事じゃないかと思うわけ。

だいたい、問題提起をどれだけ声高に他人に向けて叫んだところで、

それで問題が解決した例を、私はあまり知らない。

何かに対し問題提起する暇があるなら、自分でそれを解決する行動に出たい、と私は思う。

 

少し違うかもしれないけれど、街頭の募金活動も、個人的にはあまり好きではない。

寄付は嫌いではないので、たまにするけれど、

街頭の募金活動をされてる人達を見ると、ちょっとした違和感を覚えてしまって、お金を入れる事ができない。

そうやって、一日外で声をはりあげている時間と労力でバイトでもして、

その稼ぎをそのまま募金活動に献金したらよいのでは?と思ってしまう。

 

問題提起も、街頭の募金活動も、はなから他人の力をあてにしているところに違和感を感じるのだと思う。

「助け合い」というのは、助ける側が発信するのが自然であって、助けられる側が発信するのは違うのではないか、と思ってしまう。

寄付は、助ける側発信なので、落ち着く。

 

問題提起をなさっている人も、街頭の募金活動をなさっている人も、

100%まっすぐの善意から、それらの行為をなさっている事は、よく分かる。

だから、そういう人達に、何かを言いに行きたいとは全く思わないけれど、

私自身が、そういう事をするか、といえば、おそらくしない、そういう事です。