書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

能力が高い人の欠点は、目立たない故にこわい。

 依存性は、人間性のその他の弱さと、比例関係にあると思われます。

 その他の弱さというのは、例えば、自己顕示欲とか。自制心の欠如とか。客観性の無さとか。。。 自己顕示欲が強ければ、強いほど、依存性も強くなる、という感じ。

 でも、もともと持って生まれた能力がずば抜けて高いと、そういう「人間的な弱さ」は、目立ちません。生来の能力の高い人は、その能力の高さで、圧倒的な結果を出して行くので、周囲の人間はその人の出す圧倒的な結果だけに注目し、その人のその他の部分には目をやらないからです。その他の部分でどれだけ欠点があっても目立たないので、それが欠点に見えないのです。

 そうなると、どうなるかというと。不思議な事が起こります。

 「自己顕示欲が強い人ほど、結果を出せる」とか、「自制心など気にせずやりたい事をやっていけば結果が出せる、とか」、「主観オンリーで押し通せば結果は出せる、とか」、そんな風に間違って見えてしまうのです。

 周囲だけでなく、本人にもそう見えてしまうのです。

 でも。

 人間の弱さは依存性に繋がっているので、弱さを改善せずむしろ肯定して生きてしまうと、知らず知らずのうちに、何かに強く依存(もしくは執着)してしまう事になるのです。

 弱さが高じれば高じるほど、比例して、依存度(執着度)も倍々ゲームで高まっていきます。気づいた時にはもう、戻れなくなっている。

 

 だから、弱さを持っていても圧倒的な結果を出している人がいるからといって、「弱さを持っているから、結果を出せる」という風に、そこに関連性を見出してはいけないのです。

 結果を出せたのは、生来の能力の高さ故です。それと、その人の持つ人間的弱さは、全く関係ありません。弱さは弱さで分けて考えて、そこは改善すべきと、きちんと判断すべきと私は思います。

 でも圧倒的結果を出している人の弱さは、なぜか見逃してしまうのです。本人も周囲も。その結果、依存性(執着性)が取り返しのつかないレベルにまで行ってしまった人を、何人か知っています。そこまで行ってしまうと、もうどうしようもないのです。

 

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 能力の高い人の欠点は見えにくい、という事の怖さは、その本人だけでなく、周囲の人にも当てはまります。  

 

 結果を出せる人というのは、出せるだけの能力を持っている人です。でも私達は、結果を出した人を見て、「自分もそうなりたい」と思ってしまいます。向上心は悪いわけではないけれど、「結果を出した人と同じだけの能力を発揮しなければ、結果は出せない」とハッキリ分かっていないといけません。

 そして、残念な事に、能力の有る無しには、個人差があります(この「能力」には、結果が出るまで努力できるだけの熱意と根性、というのも勿論入ってきます。)なので、自分もそうなりたい、と思っても、なれない場合があります。自分の能力を見極め、分を知る、という事は大事です。

 でも、私達はなかなか、「結果を出す事」を諦められません。目の前に華麗に結果を出している人を見れば、尚更、「自分もそうなりたい」と思ってしまいます。自分にはそれだけの能力が無くても。

 でも。

 「自己顕示欲が強い人ほど、結果を出せる」とか、「自制心など気にせずやりたい事をやっていけば結果が出せる、とか」、「主観オンリーで押し通せば結果は出せる、とか」という風に、あえて歪めて解釈してしまえば、「自分もそうなれる」のです。

 能力は万人に与えられているものではありませんが、「弱さ」は万人に与えられています。能力は無くても、自己顕示欲や自制心の欠如や、客観性の無さなら、誰しもが豊富に持っている。

 だから「自己顕示欲が強い人ほど、結果が出せる」と考えたい。考えてしまう。自己啓発なんかで集客している人も、こういう事を言います。甘い餌に人が集まるからです。

 

 もし、能力は無いけれど自己顕示欲だけは人一倍強い人がいたとして、その人は高い結果が出せるだろうか。冷静に考えれば分かる事なのに、何故か、自分の事となると分からない。そんなものですね。

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  もう1つ付け加えるなら。

 よく「短所の裏返しが長所」と言われます。これは正しいけれど、程度問題です。

 「自己顕示欲が強い」という短所の裏返しは、「評価欲しさに努力できる」という事になります。努力できる、という部分を見ると、長所になるわけです。

 でも、評価欲しさ故の努力は、結果がなかなか出ないと、しぼんでいきます。高い結果を出す為には、「結果が出るまで努力を続ける能力」が必要なのですが、評価欲しさ故の努力には、そこまでの継続性はないのです。そこまでには至らない。つまり、努力の質が違うのです。高い結果を出せる人の「努力」は永遠に継続できる質を持っていますが、評価欲しさ故の努力には継続性は無いのです。

 短所の裏返しは長所ではあるけれど、程度問題だ、というのは、そういう事です。