読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

魔がさす時

日々の思い

 魔がさす時、というのがある。いつ、どういう時に魔がさす事が多いのか、色々読んだり聞いたりしたものをまとめると、こういう事になるようだ。

 つまり、何かに向かって集中して頑張り、それが成功した直後、が、「魔がさす時」なのだそうだ。例えて言うなら、富士山に頑張って登って頂上に達した時、とても感動し達成感に満たされる。それは良いのだけれど、感極まった感動と存分に満たされた達成感の直後というのは、「気がゆるみやすい」のだそうだ。そして、「魔がさす時」というのは、まさしくこの「気のゆるんだ瞬間」の事なのだそうだ。

 考えてみると、私自身が失策を犯した時、失言をしてしまった時、というのも、色んな意味で気がゆるんだ時だった気がする。「うまくいった」「私は優れている」「私は守られている」と慢心した直後が危ない。

 ところで、月の満ち欠けは、人間の精神や肉体に、ある程度影響する、という説がある。これは、満月の夜は出産ラッシュになって産科の医師がてんてこ舞いする、という事実から、正しいのではないかと個人的には思っている。その観点からいうと、満月の直後は「気がゆるみやすい」そうだ。欠けた状態からだんだんと満ちてきて満月に至る道筋は、人間の精神状態に「ゆるんだ状態から、少しづつ盛り上げていき、達成感に到達させる」という影響を与えるそうだ。満月の直後の人の精神状態というのは、一旦リセットが行われる、つまり、「一旦強制的にゆるむ」という事になる。

 気のゆるみがすなわち魔がさすという事になるのだとしたら、満月の直後というのは、魔が差しやすい精神状態になっている、という事になる。

 今夜は満月だ。という事は、今日は色んな意味で気が昂ぶり感動的になりやすい一日、というわけだし、明日は「気が緩んで魔がさしやすい」一日になるという事だ。とりあえずそういう風に思っておく事は、何かしらセーフティーネットにはなるかもしれないと思っている。

「キラーストレス 心と体をどう守るか」(NHK出版)

読書記録

「キラーストレス 心と体をどう守るか」(NHK出版)を読んだ。過去読んだストレス関連の本の中で、これが一番分かりやすかったので、書き残しておこうと思う。

 分かりやすかった一番のポイントは、記述が、著者の経験や持論ではなく、広く実験を行った結果をもとに書かれている事で、その実験内容も明確に記してあることだ。また、「ストレスとは具体的には何か」という事や、「ストレスがあると体にどう悪影響があるのか」といった事も、レントゲン写真等見て分かる研究結果を載せて説明してある。

 私には意外だったのだが、ストレスとは「変化」とイコールである、という事だ。本の冒頭にストレスチェック表がついているのだが、その内容は「離婚」や「仕事上のミス」「同僚とのトラブル」「夫婦喧嘩」「借金」などのネガティブ事項だけでなく、「収入の増加」「個人的成功」「仕事に打ち込む」「技術革新」「レクリエーションの増加」など一般的にポジティブに考えられている事項も数多く列挙されている。

 その内容の共通項は「変化」であり、つまり、ネガティブであれポジティブであれ、「変化」というのがストレスの源である、と定義されている。ある状態から別の状態へと大きな変化があった時、人間はそれをストレスとして受け止めるそうだ。だから「結婚」や「成功」もストレスチェック項目にリストアップされているのだ。

 そして、この表から読み取れるメッセージは「生きている限り、ストレスがない状態はあり得ない」という事だ。変化の無い人生というのはあり得ないのだから。「家族に先立たれる」のもストレスなら、「子供や孫など家族が生まれる」のもストレスである。

 じゃあ、ストレスがあるのが普通なのだったら、もうストレスなんか気にしなくてもいいのか、と言えばそんな事はない。ストレスはダイレクトに人間の脳の神経細胞を減らし、海馬を委縮させるのだ。その写真が載っているが、ストレス前の神経細胞が普通の木なら、ストレス後の神経細胞は枝がほとんど無くなり木として認証できないほどになってしまっている。海馬も同じで、ストレス後の海馬は委縮してしまい脳に隙間ができている。当然だがこれは、うつ病などの病気に繋がっていく。

 では、どうしたらいいのか。その答えもまた、本の中に読む事ができる。よくあるストレス対策法に重なる面もあるが、一応列挙しておく。

  1. ストレスの度合いに合ったコーピング(気晴らし)を行う。強弱様々なストレスに対応できるよう、様々なコーピングを予め考えておく。質より量。最低100個。本にはその例が書かれているが、実際に行う行動(例:ドライブで大声で歌う、枝豆でビールを飲む、夕陽や夕焼けを眺める、等)だけでなく、想像の世界だけでも良い(例:初恋の人の姿をイメージする、今日の夕食は何かな、と考える、など)。大事なのは、ストレスを感じている自分の状態を客観視し、自分に合ったコーピングを行う事で、これは認知行動療法そのものになる。
  2. 生活習慣を見直す(特に、睡眠、食事、運動)
  3. ストレスの原因を避ける。
  4. 周囲のサポートを得る
  5. 瞑想する。
  6. 「マインド・ワンダリング」を行わない。マインドワンダリングとは心の迷走のことで、目の前の現実ではなく、過去や未来についてあれこれ考えを巡らせてしまう状態のこと。マインドワンダリングを行っている間はずっと(実際にそのストレスにさらされているわけではないのに)人間の脳はストレス反応が続いているのだそう。 

対策法の一つひとつを見れば、どれも実際に行う事が可能なものばかりだった。ストレスというのは、悪天候や風邪のウィルス等と同じで、生きるにおいて避けられないことなのだと思う。でも、悪天候だから死ぬわけでもなく、ウィルスがあるから必ず風邪をひくわけでもないのと同じで、ストレスがあるから生きていけないという事はないのだと思った。対策を行う事で、生き延びる事ができるのだと思う。自分自身が実行するだけでなく、子供にも教えたいと思う。手始めに、子供と一緒にマイコーピング一覧を作ろうと思った。

「「キラーストレ...」の画像検索結果

 

 

怒られるのが苦手な息子

日々の思い

 私の子供は、怒られるのがとても苦手だ。誰しもが怒られるのは苦手なわけだが、私の子供は、それが病的に苦手なのだ。少しでも「怒られそうな」雰囲気になっただけで、手足が震え視線が泳ぎ、見ているだけで「これは危ない」と分かる状態になる。実際に怒られると、頭の中が暗転し思考が停止し、その場で固まって動けなくなる。

 なので私の子供は、私に「僕が絶対に怒られたくない、という事を、僕が関わる全ての人に言っておいて」と言う。また、彼は私に「絶対に怒らないで。注意もしないで。僕が何をしても誉めて。僕が悪い事をしても、間違った事をしても、誉めて」と言う。それぐらい、怒られるのが嫌なのだ。

 ある日のこと、学校から下校してきた彼の様子が、どうもおかしい。結局叱られなくて済んだのだが、叱られる寸前までいった、という事が学校であったらしい。それがとてつもないストレスになっていたようで、家に帰るなり、先生に叱られそうになって、とても怖かった辛かった、とそればかりエンドレスで私に訴えてきた。手足は震え目は泳ぎ、体を私の真ん前に突き出して、私の目をのぞきこむようにして訴え続ける。少しでも私が姿勢を変えたり視線をそらしたりしただけで、声の調子が上ずり、大きくなり、更に体を私に近づけ、私の顏をのぞきこむようにして必死で喋る。

 だんだんと、過去に叱られそうになったり、実際に叱られてしまって辛かった思い出まで、次から次へと話し出す。同じ事を何度も繰り返し、繰り返し、僕はこんなに辛かった怖かった、僕はみんなにこうして欲しいああして欲しい、僕は誰からも叱られないように叱られない人になりたい、等など、彼の気持ちだけをエンドレスで私に訴え続ける。これは彼には本当によくある事で、何か嫌な事があったのをきっかけに、過去にあった嫌な事を数珠つなぎに引き出してきて、それを繰り返しエンドレスで私にぶちまけるのだ。また、僕はどうしても○○したい、○○できないと我慢できない、と、まったく実現不可能な事をやりたいと言ってくる。言うだけでなく私が答える事を要求してくるので、「それは無理だよ」と言ってしまうと、また逆ギレのような状態になる。だからといって、「してもいいよ」と言うわけにもいかず、私は喉がつまるような苦しい状態に追い込まれ続ける。

 こういう状態の時、いつも不思議なのだが、子供は一体どういう精神状態にあるのか私には分からない。私に不満をぶちまけ、叶うはずもない要求をつきつけ、私を究極まで困らせ続ける事で、彼がストレスを発散しているのは分かる。でもそれを彼が楽しんでいるのかどうかが分からない。むしろ彼は苦しそうに見える。でも、私に対して発散しなければ、彼は自分の力では、彼自身のストレスに対処できないのだ。ある種のストレスに対して、彼は徹底的に弱いのだ。脆弱なのだ。

 途中、着替えをしたり、用事をしたりして中断したが、家にいる時間はずっと、「僕は僕は」と彼の気持ちだけを私に押し付ける作業を延々行っていた。合計で3時間以上は彼の言葉の砲火を浴び続けていたと思う。食事中もずっとそういう状態が続いて、私は全く食欲が湧かず胃も小さく縮こまって痛みだしたので、ほとんど食べられずに終えて、食後ソファーに疲れ切って座ったら、息子が怒りだした。「ママが疲れた顏するから、僕はつらい。ママは疲れた顏しないで」。文章で書くと穏やかな感じだが、実際には異様に目がすわった子供に、至近距離で何度も何度も繰り返しこれを言われるので、圧迫感脅迫感がハンパない。疲れた顏をするな、と言われても、疲れきっているのだから、そういう表情になるのはどうしようもない。「ママ、笑って。笑って」と怖い顏で命令されても、泣き笑いの顏しかできないから子供は満足しない。「ママ、疲れた顏しないでー!!!」と言って、ぎゅっと爪をたててしがみつかれたり、やみくもに叩かれたり。

 怒られる、という事が、ここまで彼を追い込むのだ。それが分かっているから、私はそもそも、彼を怒る、という事は絶対にしないし、注意すらしない。何かを教える時も、とても気を遣って、教える、というより、提案する、という感じで意見を提示するにとどめている。また、普段から、彼が外で誰かに叱られるような羽目にならないように、徹底的に先回りして手を打ち、手配し、気を配っている。

 彼に「ママ、疲れた顏しないで」としつこく責められ、もうどうしようもない所まで追い込まれた私は、仕方なく反論めいた事を言った。「ママは、誰かが自分の話しばかり延々繰り返し話すのを聞かされると、とても疲れるの。でも、あなたがたまったストレスを、ママに話す事で解消しているのは分かるから、あなたが話したいと思っている限り、ママは頑張って聞くよ。聞くのは疲れるから聞きたくない、話さないで、とは言わない。でも、聞く事で疲れるのはこれはもう仕方ないから、疲れた顏をしてしまうのも仕方ないと思って欲しい」と言った。

 また「あなたが、ストレスがたまった時や不安になった時に、ママに話す事でそれを解消するのは、悪い事じゃないし、それで解消できるのなら、良いんだけれど、いつまでも人に頼らないとストレスが解消できない、というのは、不安定ではあるんだよね。できれば、いつかは、自分自身の力で、自分のストレスや不安を消していけるといいんだよね」

 そして「その方法は、いくつかあるけど、知りたい?」と子供に聞いたら、「え、自分で解決できる方法があるの?あるなら知りたい」と言うので、説明した。

 「まず1つめは、書いてみる事。自分のストレスや不安を、紙に書いてみると、客観的にどうしたらいいのか分かる場合があるし、解決方法が分からなくても、とにかく書く、という行動で、心が落ち着く場合が多い。あと、2つめの方法としては、瞑想してみる事もいいよ。ストレスや不安で一杯の頭の中を、一時でいいから空っぽにする時間を取る。瞑想中は何も考えない。ただ頭をからっぽにする。寝る前でもいいし、お風呂に入っている時でもいいし、ストレッチ中でもいいし、いつでもいいから、何も考えない時間を作ると、心の中が整理整頓されて、ストレスや不安が消えている事があるよ。あと、3つめの方法としては、運動もいいよ。野球やサッカーみたいな本格的な運動だけじゃなく、ただ歩くだけのウォーキングや走るだけのジョギングでもよくて、運動する事で自律神経が整って、心にひっかかっていたものが消えてしまう事があるよ。あと、4つめは、これが実は一番効果的なんだけど、ストレスがあったらその分、楽しい事を考えたり、やったりして、ストレスを上書きしてしまうといいよ。小さなストレスには小さな楽しいこと、大きなストレスには大きな楽しい事、って感じで強弱つけて」

 私の話の何が子供の心に響いたのかは不明だが、この話の後、子供からのしつこい話は、唐突に終了した。十分ストレスは解消したのだろうか、不安感は癒えたのだろうか、と気になったが、彼の顏を見る限り、大丈夫なようだった。

 その日、寝る前に少し何か事務的な用事があったらしい子供は、「ママ、今日は疲れているところ申し訳ないけど、ちょっといい?」と話しかけてきた。<疲れているところ申し訳ないけれど>???こういう事をきちんと言えるところが、彼の彼たるところで。私の話をちゃんと聞いてくれて、バイアス抜きに文字通り吸収してくれて、自分なりに納得して血と肉にしてくれるのだ。私はとても嬉しく感じた。

 それから数日後、彼が再び不安定になった。これは地震の余震のようなもので、ある程度覚悟はしていた。私と夫が話しをしていたら、突然「喧嘩しないで」と叫んで私ににしがみついてきたのだ。「喧嘩なんかしていないよ」とどれだけ説明しても納得しない。彼には、私と夫が喧嘩しているように見えているのだ。彼は、夫と私が喧嘩するのを極端に嫌がる。だから私と夫は絶対に喧嘩しないように気を付けている。それでも彼は、私達のちょっとした言葉の強さなどを敏感に察知して、「喧嘩しないで」と大騒ぎを始める。していないのに、しないでくれと言われてもどうしようもないので私が黙り込んでしまうと、私が無反応である事に怒りを覚えるようで、お決まりの一連の、彼の「僕は辛かった」話が始まる。僕はああしてほしかった、こうしてほしかった、本当に辛かった、苦しかった、どうしてこうしてはいけないの、ああしてはいけないの、〇〇してもらえないと我慢できない、、、、答えようのない言葉を再現なく繰り返す。この時は2時間ほど続いただろうか。

 一旦おさまると、まるで嘘のように穏やかな子供に戻る。むしろ気の弱い不安感の強さが前面に出てきて、私を苦しめた事をひどく悔やみだす。「ママ、僕のせいで疲れ過ぎて病気にならない?ママ、怒ってない?ママ、どこかに行ってしまわない?」などなど、私が「大丈夫だよ」と伝え続けてなんとかおさまるが、ひどく落ち込んでしまう。

 こういう余震を何度か繰り返しながら、だんだんい普段の穏やかで素直な彼に戻っていくのだ。それでもまた何か大きなストレスがあると、恐怖からの不安感がぐわっと押し寄せて、苦しんだ彼は、そのストレスを私に吐き出す事だろうと思う。そうすれば私はまた、彼のサンドバックとなって彼の苦しみを、何時間も受け取り続けるだろう。そういう時間を繰り返す中で、たまに先日のような「自分でなんとかする方法」を話してみたり、また別のアプローチ「怒られる事は良いことなんだよ」とか、当たり前だけれども言ってみたりして、ストレスに立ち向かえる人間に、なってくれたらよいなあと思っている。なれなければ、私が一生面倒みるしかないと思うが。

 そうは言いつつ、私は息子のことを、とても好ましい人間だと思っている。彼は発達障害なので、ある一定の事について、普通の人よりも過敏に感じるだけの話しなのだ。彼の場合は、それが「怒られる事」であり、「両親が喧嘩する事」であり、あといくつかあるが、そういう過敏な事に遭遇すると、普通の人は「不快だな」ぐらいで終わるところが、彼にとっては、この世の終わりのような恐怖と不安を感じる事になる。だから神経症のような反応を示すし、ストレスが極まった子供特有の過剰な甘えとしつこさを見せる。これはもう親が、徹底的につきあって受容し、彼の心が成長するのをじっくり待ってみるしかないと思っている。そして彼の成長について、私はかなり希望を持っている。

 なぜなら、小さい頃の息子は、今の何百倍も大変だったのだ。当時は本当に、誇張ではなく一日中、子供の訳のわからない癇癪に付き合うのが、私の仕事だった。癇癪を受け止め、拒絶せず、叱らず、その中で何とか子供の苦しみを減らし、楽しめる事を探して暮らしていた。病院や色んな機関の「先生」方に様々な助言を頂きながら、それを必死で消化した日々でもあった。他のお子様から遅れる事数年の小学校入学前頃に、やっと言葉で意思疎通ができるようになり、癇癪の意味や理由が分かるようになってきて、少しづつ子供の癖や特徴が見えてくるようになり、それでも相変わらず癇癪を受け止め、苦しみを少しでも減らし、楽しめる事を探してきた日々の、今は延長線上にいる。今子供は本当に随分成長し、癇癪を起す事のほうが稀になる所まで来ている。小さい頃は、癇癪が日常だったのだ。その成長ぶりは甚だしい。癇癪を起さなくなるまで、もうあと一歩だと感じている。

 普段の彼はいたって扱いやすい子供で、特に、発達障害特有の良い面が好ましい子供だ。例えば、嘘をつかない、であったり、人の言葉を変に勘ぐったりせず色をつけてみたりもせず文字通りをそのまま受け取る、であったり。また、飽きるという事がないので面倒くさい事や同じ事を淡々と平気でやり続ける事ができるし、一度決めた事は誰も見ていなくてもきちんとやり続けてサボるという事をしないから、信用がおける。誰かと自分を比べて悲観したり愚痴ったり反応したり、という事がないのも、一緒にいて好ましく感じるし、基本的にいつも穏やかで安定的に機嫌がよいのも助かる。人懐っこい面も可愛らしい。本当に、もうあと一歩だなあと思っている。